(1) ルキウス・リキニウス・ルクルス Lucius Licinius Lucullus (117-56 B.C.) キケロ(106- 43 B.C.) より約10歳年長。同盟市戦争(89年)において、tribunus militum として名を馳せた。87年スラの下で財務官となる。キケロが『アカデミカ』を執筆したのは前45年であるから、ルクルスの没後すでに10年以上たっていることになる。ルクルスの業績を述べた『アカデミカ前書』冒頭のこの箇所はルクルスの追悼の意味を有していると考えられる。 『目的について』第3巻ii,8「万事に卓越した人物で、ぼくとは意見も意図も同じうし、友情で結ばれた仲なのだ。」この第3巻はルクルスの蔵書を借りに来たキケロがそこでマルクス・カトーに会うという状況設定を与えられている。

(2) 弟マルクス・リキニウス・ルクルス (116-56)はウァロの養子となっている。

(3) 父ルキウス・リキニウス・ルクルスは103年propraetorとなったが、横領のかどで、101年ルカニア(南イタリア)への流刑に処せられた。  『義務について』第三巻23章90節に、ヘカトンの『義務について』にある対話とし て、次のような論が紹介されている。一方は義務の立場に、他方は人間の情humanitas の 立場に立っている。「では、もし父親が神殿に奉納されたものを略奪したり、宝物庫に通 ずる盗掘坑を掘ったりしたばあいはどうだろうか。息子はそのことを当局に報知したもの だろうか。--- とんでもない、それどころかもし父親が裁判にかけられるなら、息子は弁 護しなければならない。--- とすればすべての義務に祖国が優先するわけではないのか。 --- いや、それはたしかに祖国は優先する。しかし、国民が両親を敬うことは、祖国にと って役立つことなのだ。」 『義務について』第二巻14章49〜50節 「法廷での演 説に二種類ある。一つは告発を、もう一つは弁護を動機とする。高い評価を受けるのは弁 護の方である。けれども告発が評価されることも多い。しかしそのような演説はあまり頻 繁にすべきではない。・・・上述の人々の場合のように国家のためか、あるいは二人のル クルスの場合のように復讐のためか、あるいは属州を援助するためか以外におこなうべき ではない。」

(4)  小アジア半島北東部にあったポントスの王ミトリダテス六世は東方のアルメニアを手に 入れた後、西方のパフラゴニア、カッパドキアの支配権を得ようとしてローマに阻止され た。また、ビテュニアからニコメデス四世を追放しようとする企ても失敗した。前88年 このニコメデスがポントスに侵入したことから第一次ミトゥリダテス戦争が始まる。小ア ジア全域を制したミトリダテスは、エーゲ海の島々、さらにギリシアに侵攻するがスッラ によってギリシアから退けられ、和議をよぎなくされた。前81年スッラの部下であった ムレナの侵攻を退けたのが、第2次ミトリダテス戦争である。ルクルスが活躍した第3次 ミトリダテス戦争(74-63)はローマがビテュニアの併合を決定したことから始まる。ミト リダテスはビテュニアを占領したが、ルクルスに補給路を断たれて撤退、ポントゥスから も追放されたが、ローマ軍内部の反乱に乗じて占領地の大部分を回復した。もっとも、こ の敗北によってもはや、ローマに敵対する力を失い、やがてルクルスの後を受けたポンペ イウスに最後の敗北を喫することになる。

(5)  『弁論家について』第1巻5章18節 「さまざまなことがらの宝庫たる記憶について は、どのように言うべきであろうか。考えついた、あるいは考え抜かれたことがらとこと ばの見張りとして記憶がないなら、すべてはたとえそれが弁論の中でいかに効果的なこと であったとしても、失われてしまうことは明らかである。」『弁論家について』第2巻8 8章359節 「ことばの記憶の方はわれわれにあまり必要ではないが、その特徴はさま ざまな数多くの表象である。というのも演説の部分部分を結び付ける、いはば関節のよう なことばの数は多く、これらについては印象といったものがないため、必要に応じて使う ための表象をわれわれが自分で作り出さなければならない。これに対して、ことがらの記 憶は弁論家に固有のものであり、上手に配置された人物をしるしとし、意見の内容は表象 により、順序は位置により、記憶しておくのである。」ここでことばの記憶と言われてい るのは、印象を形成することができないようなことば、たとえば、前置詞、接続詞などに ついての記憶のことである。これに対し、ものそのものの印象をそのまま記憶しうること は、ことがらの記憶によって、記憶することができると考えられている。それゆえ、何か をことばとして記憶していることがことばの記憶であり、何かをその印象あるいはものそ のものの表象として記憶していることがことがらの記憶であると考えられる。

(6)  第一級の指導者 princepsという呼び名をキケロはエパミノンダス(Tusc.I,4)、ペリク レス(De Off.2,60)にも与えている。

(7)  『弁論家について』第2巻86章351節 によればテミストクレスに記憶術を教えよ うと申し出たのはキオスの人シモニデスであり、それに対しテミストクレスは、「忘れた いことを忘れる術を教えてもらうほうがありがたい」と答えたとされている。同書第2巻 74章299節 

(8)  ポントスの王ミトリダテス (120-63 B.C.)

(9)  ルクルスは前64年ないし、63年初頭ローマに凱旋するまで、3年間待機を余儀なく された。

(10)  カティリナ事件を言う。